いよいよ寒い。
小林秀雄氏の『考えるヒント』、「花見」を読む。
同氏が、東北を旅した先の宿で、独り酒を飲んでいる時、長押の扁額に
3人の武将の詠んだ歌があったそう。
み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり 源 頼政
馬上少年過 世平白髪多 残軀天所許 不楽復如何 伊達政宗
散り残る岸の山吹春ふかみ此ひと枝をあはれいはなむ 源 実朝
こんな美しい歌は私にはとうてい詠めないけれど、その心は分かる。
同氏は、この日、この後、講演会で喋ったというから凄い。
この詩を詠んでから、頭の中に
『春がきて、斑雪を乗せ、海に望んだ鳥海山の昼間見た姿』が浮かび、
そのことが離れなくなってしょうがなくなってそのまま講演で話したらしい。
「仕方がないから、いい文句ですな」といって黙ってしまったら、聴衆が笑い出したと
いうからさらに凄い。
場渡り上手なのか、自然体なのか、それとも天性のものなのか。
小林秀雄氏の著書を読んでいると、人間っぽくていいなあと思う。
繰り返し読んでも飽きない。

続けて、「花見」の最後にこう言っている。
『この年頃になると、花を見て、花に見られている感が深い、たしか、そんな意味の歌
で合ったと思うが、思い出せない』ー花やかへりて我を見るらん、何処で、何で読んだ
か思い出せない。
憎い終わり方。
じゃあ、何でいうのですか、と本に話しかけながらこの箇所を行っては戻り、戻っては
読み返した。
それにしても、花見をして花に見られているという感じは共感できる。
もっとも毎年、花見をしている最中は、そんなこと考える余裕もなく酒に酔っているの
だけれど、花たちは私たちの世界に彩りや活気やいい香りを与えながら、実はしっかり
観察してるんじゃないかと思うことがある。
次の花見はちゃんと見られる人でいたい。
ちゃんとってなんだ?















