2008年11月アーカイブ

花見

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いよいよ寒い。

小林秀雄氏の『考えるヒント』、「花見」を読む。

同氏が、東北を旅した先の宿で、独り酒を飲んでいる時、長押の扁額に

3人の武将の詠んだ歌があったそう。

み山木のその梢とも見えざりし桜は花にあらはれにけり  源 頼政

馬上少年過 世平白髪多 残軀天所許 不楽復如何    伊達政宗

散り残る岸の山吹春ふかみ此ひと枝をあはれいはなむ   源 実朝

こんな美しい歌は私にはとうてい詠めないけれど、その心は分かる。

同氏は、この日、この後、講演会で喋ったというから凄い。

この詩を詠んでから、頭の中に

『春がきて、斑雪を乗せ、海に望んだ鳥海山の昼間見た姿』が浮かび、

そのことが離れなくなってしょうがなくなってそのまま講演で話したらしい。

「仕方がないから、いい文句ですな」といって黙ってしまったら、聴衆が笑い出したと

いうからさらに凄い。

場渡り上手なのか、自然体なのか、それとも天性のものなのか。

小林秀雄氏の著書を読んでいると、人間っぽくていいなあと思う。

繰り返し読んでも飽きない。

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続けて、「花見」の最後にこう言っている。

『この年頃になると、花を見て、花に見られている感が深い、たしか、そんな意味の歌

で合ったと思うが、思い出せない』ー花やかへりて我を見るらん、何処で、何で読んだ

か思い出せない。

憎い終わり方。

じゃあ、何でいうのですか、と本に話しかけながらこの箇所を行っては戻り、戻っては

読み返した。

それにしても、花見をして花に見られているという感じは共感できる。

もっとも毎年、花見をしている最中は、そんなこと考える余裕もなく酒に酔っているの

だけれど、花たちは私たちの世界に彩りや活気やいい香りを与えながら、実はしっかり

観察してるんじゃないかと思うことがある。

次の花見はちゃんと見られる人でいたい。

ちゃんとってなんだ?

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日本人なので当然なのだろうけれど、日本を感じる場所に行くとやけに落ち着く。

栃木の日光東照宮、京都の石清水八幡宮、八坂神社、清水寺、三重の伊勢神宮諸々、

神社仏閣はたまらない、私のGスポット。

居ろといわれれば、そこに何時間でも居れる。

出雲大社にもいきたい。

ところで、ここは目白庭園。

その片隅にある滝。

綺麗。

外側は、長屋門と築地塀で囲まれている。

8年ほど前に作庭されたわりと新しい日本庭園。

中央に池があり、そのまわりを回遊できる。

でも、この辺、川がないのに、どこから水を引いているのだろうか。

庭園で想いだしたけれど、清澄庭園。

友人の結婚パーティでいったのだけれど、ここはかなり立派な庭園だった。

泉水という大きな池に数寄屋造りの建物。

ここの水は昔、隅田川から引いていたらしいが、今は雨水のよう。

「古池や かはづ飛び込む 水の音」。

松尾芭蕉の句を刻んだ石碑もある。

空と緑と風と雲と太陽と日本。

日本に生まれて良かったな。

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最高級の食パンなのに。

最高級やのに。

最高級やったのに。

耳がおかしいことになってるからもう最高級じゃないやんか。

全体的にこういびつに変形してるし。

高級じゃない。

どうしてくれるの、猫達よ。

たくましく育ってくれるのはいいけれど、

最近、愛猫3匹の餌量がハンパない。

適量だと思ってあげたら足りずに催促してくるわ、

人がご飯食べていたらがガン見やわ、ちょっとちょうだいだわ、

寝ている間にゴミを荒らすわでえらい食欲が増しているようなのだ。

お行儀よく育ててるんですが。

どうしたんでしょうか。

先住猫(♀)はお座りできるほどお利口やのに。

新入りの2人組の仕業ですか。ですね。

先ほど、出来立てホヤホヤ(だと思われるほど柔らかい)の、その店「最高級」と名

のついた耳までフワフワの食パンをこのように食いちぎったのは。

君らはそれを知っててやったのか?

これからこの食パンはどうしたらいいんでしょう。

小麦粉はじめ、原材料諸々に謝りたい気分。

ごめんなさい。

そして猫達、頼むから餌を食べよう。

映画はもちろん、マンガもちょこっとしか観てないくせに、サントラだけは持ってる

デトロイトメタルシティ。

収録曲が10曲で、なぜか曲名をみたとたん、レジに向かっていた。

なぜだろう。

まず、「メス豚交響曲」。

改めて歌詞を読んでみたら末恐ろしいことになっていた。

「下半身さえあればいい、下半身さえあればいい…」

言葉はえげつないが、交響曲というだけあってメタルの中に神聖なメロディが入るとこ

ろだけが素敵。

続いて「ファッキンガム宮殿」、「あの娘をレイプ」、「SATSUGAI」と攻撃的な

タイトルが続く。

今、聞きながらライティングしているが、もうお腹いっぱいなのでここらへんで。

それはさておき、「HI LOCKATION MARKETS」のミニアルバム

『REAL』が昨日発売された。

打って変わって爽やか。季節は初春か?

HI LOCKATION MARKETS、略してハイロケは、オーディション番組「イツザイ」から

見事デビューしたイケメンだらけのバンド。

軽やかに歌い上げるも骨太の楽曲が素晴らしい。

丸田くんはじめメンバーのみなさん、発売おめでとう!

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ぴよちゃん

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帰宅途中、小雨が降ってきた。

首に巻いたマフラーを頭巾状にかぶりコンビニに駆け込んだら、

ほんまもんの頭巾をかぶった人がいた。

その人は近所でよく見かける外国人の女性で、おそらく宗教上の関係で被っておられる。

一瞬こちらをちらと見て目を逸らしはりました…。

被り方が邪道だったのかしら。

そういえば、今日横断歩道を渡ってから駅までの道、韓国人の女性2人組と中国人の女

性(おそらく)2人組の間に私がいる状態になった。

母国語でトーク炸裂している両者の間で、ふと意識がインドに飛んだ。

4年程前に1人旅したインドでの出来事を想いだしたのだ。

飛行機の到着したデリーから鉄道で24時間。

バナーラス地方、ガンジス河のほとりにやっとこさ着いた。

河は想像した以上に壮大で、端から端までゆっくり歩けば2時間はゆうにかかった。

来る日も来る日も歩き続けた。

泳いでいる子供、洗濯をしている女性、体を洗っている人、水を汲む人…。

ここに暮らす人々の生活の営みを見ていると飽きないのだ。

夕方決まった時間になると毎日、河の真ん中あたりでお祈りを捧げる人たちで賑わう。

河の端っこにはインド中から運ばれてくる死体の焼き場があった。

ある日の昼間、40度を超える炎天下の中、汗ダラダラで河沿いを歩いていたら、

遠くから叫び声が聞こえた。

「ジャパ〜ン!!」

馴染みのある国名が河の方から聞こえたので見てみた。

河には観光向けのボードがいくつも浮かんでおり、ボートの主が客引きをしている。

先ほどの声の主はチョコレート色の肌をした地元のおじさんだった。

さらに大きくなる。

「ボート、ボート!!!」

ちょっとばかししつこいので「ノー」と叫び、顔の前で手のひらを動かしニコッと笑っ

てみた。

すると今度は、「チャイナ〜!!」

コミュニケーションがうまくいかなかったみたいで、私も伝えたくなった。

「ノーチャイナ!ジャパン、ジャパン!」

河に向かって大声で叫ぶ。

するとおじさんは、「オー。コーリア!!カモン、カモン」

全然通じてなかった。

しかも、私は国ではない。人だ。

ボートのおじさんからしたら、ジャパニーズもチャイニーズもコリアンも一緒に見えた

のだろう。

ところで、素晴らしい4コママンガ。

イラストレーターの星養歩見さんの作品、ぴよちゃん。

記念すべき第一作を拝見させて頂いた。

可愛すぎるよ、ぴよちゃん。

ぴよちゃんと命の恩人とはどんな展開になっていくのだろう?

星養さんのほんわかしたお人柄が直に出ている作品だと感動。

星養さん、次回作楽しみにしています。

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昼過ぎ、知人から変な電話がかかってきた。

「家、急に引っ越ししなくちゃいけなくなって、どっかいい不動産知りません?」

いや、知りません。私、不動産とか一番弱いです。

「もし良かったら一緒に住みません?」

冗談なのだろうが、けっこう本気モードのようだった。

「住みません!!!!!!」

聞くところによると、彼はこの2年間、立て続けに大晦日に引っ越ししているらしい。

「何か変化の時なのだろうから、前向きに捉えたらどうですか?」と提案をしてみた。

不動産まわりをしていたらしく、「そうですよね〜」なんて言っていたけれど。

その後、だいじょうぶなんでしょうか〜?

今日は、このブログをデザインしてくれたN氏と打ち合わせ、というか相談しつつ

再構築のお願い。N氏、お疲れさまでした!!

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この1週間で「桃太郎」の名を3度も耳にした。

おばあさんが川に洗濯に行ったら流れてきたあの桃から生まれた男の子だ。

はじめは、作家の高橋フミアキ先生のご自宅にて。

「桃太郎を深読みしたらあれはどういうことだと思う?」

そんな投げかけからはじまった夜だった。

「洗濯という日常的な行為をその日に限らずしていたおばあさん。平凡な日々に桃太郎

という子供が桃に入ってやってきた。普段なにげなく継続しているいたからこそ、幸

せはやって来たのでは?」

それが私の考え。

2回目は、数日後、仕事の打ち合わせの場で。

私も知っている共通の知人の話が出た。

その知人=無理難題をいう「困ったサン」のことを相手がこう言っていた。

「そんなのねぇ、好き勝手放題いわれてもこっちは困りますよねぇ。桃太郎じゃないん

だから」

つまり、いきなり桃を切って開けたら、子供が生まれるほど簡単なことではないという

ことを意味しているのだと思い、いい比喩だと妙に納得してしまった。

3度目は、昨日の「エンタの神様」。

なぜか最近欠かさず見ている「エンタの神様」。

タカアンドトシの「お風呂の修理」というコントの中だった。

タカの自宅に修理業者のトシが来るというもの。

トシ「ひとついっておきたいんですけど、

修理している間、ゼッタイに中見ないでくださいね」

タカ「鶴の恩返しか」

トシ「お風呂場まで着いて来れたらきびだんごあげよう」

タカ「桃太郎か」

トシ「12時になったら私帰らなくてはいけない」

タカ「シンデレラか」

昔話のタイトルでもって、ものすごい早さでのボケ&ツッコミのオンパレード。

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つい先日、わざわざ購入しなくてもいいマッチを購入したらそれも桃のイラストだった。

桃太郎よ。

あなたは何か、こうメッセージ的なものを投げかけていくれているのだろうか?

冒頭に登場した高橋フミアキ先生の新刊が発売された。

素晴らしく読者を惹き込み、夢中にさせてくれる本。

化粧水のように肌になじむ独特の文体。

素晴らしい著書を世に生み出してくださり、感謝。

すでに私、2度目の読み中。

表紙の坂本竜馬のイラストにもグッとくる。

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連休初日の銀座では、ツリーを囲むおばさん、おばさん、おばさん達で溢れていた。

携帯片手に、ツリーの前で入れ替わり立ち代わりピースしまくるおばさん達の横で私も1枚撮ってみた。

赤と青と橙と。

ピカピカ光ってて綺麗。

ツリーを見ていて想いだしたことがある。

たしか1999年のクリスマス。

もしかしたら2000年だったかもしれない、記憶があいまい。

その頃、ロンドンに留学していた私は遠距離恋愛をしていて、東京に暮らす彼氏に会うため、クリスマス•イヴに飛行機で帰国したことがある。

そう、彼に会うためだけに。

夜の成田空港。カバンに隠したプレゼント。(中身は忘れた)半年ぶりの再会。

思い返せば、設定だけでもかなりロマンチック。

久しぶりに日本に上陸した私を迎えたのは、サンタだった。

サンタの格好をしたその彼氏。

白いトリミングで縁取られた真っ赤な衣装に、ひげも眼鏡もプレゼント袋(と呼ぶのか?)も完璧で、ちゃんとサンタだった。

思ってもいないサプライズに喜び、演出に感動した。

が、その夜、困ったことになった。

空港バスで乗り、都心に着いてもそのまんま。

街の通行人。

振り返り、笑うのを気にもとめず颯爽と歩く彼。

少し距離をおいて歩く私。

ご飯を食べにいってもそのまんま。

私の感動は苦笑に変わり、苛立ちになって、泣き出してしまった。

腹の中は憎悪一色。なんだ、コイツ。

「頼むから、恥ずかしいからやめておくれ〜」

クリスマス•イヴとかもう関係ない。

渋谷のど真ん中で絶叫しあうケンカになり、仲睦まじいのもつかの間。

離ればなれとなってしまった。

思い返せば、わるいことをしたなと思う。

彼のエンターテイメント魂を理解しようとせずに、

ひとりよがりの「クリスマス•イヴ像」を押し付けていたことをちょっとだけ反省している。

頭の中だけで描かれた勝手なシナリオ。若気のいたり以前の未熟さ。

不思議なのは、毎年クリスマスツリーを見ると、わけもなくなぜかやさしい気持ちになること。

誰かにフォー•リン•ラブする時に似ているかもしれない。

アホと思われようがなんだろが、理由なんてそこにはないのだと思う。

師走イズカミン。

拝啓 ケント•デリカット様

元気にしていますか?

旧友の愛息が眼鏡をかけはじめたらしい。

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ふと、ケント(呼び捨て御免)のことを想いだしたのは、つい数日前。

彼女(旧友)との電話の最中だ。

3歳になる息子が、生まれつき「遠視」だったらしい。

検査もろもろで発覚したという。

来春から幼稚園に入ろうとする長男が、常時、眼鏡をかけることを彼女は懸念していたように感じた。

先週の土曜日から最新の遠視用眼鏡をかけているらしい彼、のことは本人が生後1歳に満たない頃から知っている。

1歳になった頃、泣きながら私のことを「パパ」と呼んだ。

(私の)声があまりにも低いので、お父さんと間違ったらしい。

2歳の頃、電話口で親しげに私の名前を呼び、聞き取りにくい言葉で声たからかに話しかけながら、「この人、誰?」と、突然受話器を置いてどこかへいってしまった。

電話越しでなければ、全身こそばしの刑だった。

3歳の今、何とも知的な君の眼鏡姿にうっとりする。

「どこ見てるん?」

「何考えてんの?」

目に見えて分かる君の成長に、ただただ微笑んでしまう。

オー、マイ•ケント。 

今度会う時は、名前と顔が一致してくれることを祈るよ。

10日程前に発売された桐野夏生氏の新刊、タイトルに惹かれて、すぐさま手にした。

「アンボス•ムンドス」。

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とは何ぞや?

聞いたことあるようなないような。考えても分からない。遠い異国の言葉。

小学校の教頭と女教師がキューバへ不倫旅行して泊まるホテルの名前。 それが「アンボス•ムンドス」。物語のタイトルでもある。

女教師によると、それは「両方の世界」という意味だという。 「新旧の世界」でもあるという。

東西、表裏、左右、男女、明暗…。

なるほど。

“Ambos Mundos”

「これは猫にもあてはまる」

私見。

1匹の先住猫と2匹の新入り猫。合わせて3匹。

私猫。

先住猫は、「愛して、愛して」と気が向けば私の元に来る。

話しかければ、ニャーと答え、寒ければ寄り添ってくる。

まあ、なんとも可愛らしい。

新入り猫は、未だ2匹ともまともに抱いたことがない。

動物愛護推進員の人に、野良猫として保護され、里親として私が名乗り出た。

飼いはじめて1ヶ月近くなるというのに、近寄れば猛ダッシュで逃げる。

隠れる。焦る。爪を立てる。

人間に対する猛烈な恐れというか拒絶反応があるらしい。

理由はよく分からないけれど。

こんな猫たち、初めて見た。

むこうもきっとそう思ってるのかな。

一緒に暮らしているのに、どこにいるか分からない時さえある。

そのくせ私が眠っている時にだけ、近くに寄りたいらしい。

目覚めると、必ず目が合う。

2匹とも、また逃げていく。

こんな日々を繰り返すうちに、

「いつになったら慣れてくれるのか」と心配するより、

彼らには彼らの事情があるのかと近頃思うようになった。

そういう猫もいるみたいだから。

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オスでもメスでもなく、猫は猫なんだけれど、

先住猫とはちがう「けっして近寄らない猫」。

性格的にいうと、先住猫が「光」なら、新入り猫たちは「陰」。

行動もそう。

「堂々」と「こそこそ」。

猫同士では仲良くやっているので、安心している。

少しだけこの2つが混ざれば、嬉しい。

アンボス•ムンドス。

今更ながら、甲本ヒロトの歌詞は最高だと思っている。

久しぶりに「日曜日よりの使者の詩」のページをパラパラとめくってみた。

夜の街 光る街 つくりたてのビルの街 冒険野郎のかくれんぼ 誰が呼んでも応えません

遠く離れて光るものは 僕の洋服のボタンだよ 一番こわれやすいものは シャボン玉なんかじゃありません

同じ日本人で、同じ日本語を話すのに、彼が「ネオンサイン」を見ると、 たった4行で物語が動き出す。

「街」はTHE BLUE HEARTSの友達をテーマにした歌だ。

アスファルトだけじゃない コンクリートだけじゃない いつか会えるよ 同じ涙をこらえきれぬ友達と きっと会えるよ

毒ガスばかりじゃない ドロ水ばかりじゃない いつか会えるよ 同じ気持ちで爆発しそうな仲間と きっと会えるよ

その時おまえには 何が言えるだろう その時 友達と何を話すだろう

見せかけばかりじゃない 口先だけでもない いつか見るだろう 同じこぶしをにぎりしめて立つ人を きっと見るだろう

その時ぼくたちは 何ができるだろう 右手と左手で 何ができるだろう 命のあるかぎり 忘れてはいけない 今しかぼくにしか できないことがある

思春期の頃には歌詞の意味も分からず、リズム重視で聴いていたのだろうが、 15年以上経った今、こうして読み返すと、グッと胸に迫るものがある。 リズムもいいけれど、歌詞も重要だ。身にしみるいい歌だと心から思う。 子供でも老人でも、日本語が読み書きできる人なら誰でも分かるごくシンプルな言葉でによる強烈なメッセージがそこにはある。

こざかしいことはいわないのだ。

『甲本ヒロト様 あなたが日本に生まれてくれたことに感謝します』。

本当にそう思う。大賛成。

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本日、オープンです!
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