たった今、自宅の斜め前で激しく吐いてるBボーイがいた。
Bボーイとは、格好で判断したのであって、真にBボーイなのかどうかはさだかであるけれど。
ワッツアップ。
コンビニに行ってから戻るまでの5分足らず、その青年は吐き続けていた。
飲み過ぎたのだろう。
お母さんに怒られるぞ。
気をつけて。
ところで、今日またクリスマスツリーを観た。
溜池山王。
シーズンだから当然なのだが、うっとりした。
乙女、入ります。
ANAホテルの前の横断歩道で、チラチラ金銀に飾られたツリーをしばらく見上げていた。
クリスマスに予定はありません。

小4の頃まで、家族内にはサンタクロースがいることになっていた。
それが父親だったと気づいたのは、その前の年。
薄目で見たら、プレゼントを枕元に置いていたのは父親だった。
抜き足差し足で足音を立てぬよう、気遣っている姿は今でもはっきり覚えている。
言うに言い出せず、時は過ぎた。
ANAホテルに行った帰り、銀座線に乗った。
吊り広告のひとつに目がとまった。
「文学館」の宣伝の何かで、一般の人のコラムっぽいものが載せられていた。
亡きサラリーマンの父親の背中についてサラリーマンの息子が想いを連ねたものだっ
た。
いつの間にか親父の背中をみているうちに、自分も大人になっていた。
帰り道、前を歩いているサラリーマンに見覚えがある。
その親父が息子の前を歩いていた。
背中を見て、声をかけられなかったのは、いっつも笑ってる親父の背中がなんか
こう弱々しくみえたから…。
息子のコラム的なものを読んでいた私は暖房が中途半端にきいた車内の座席に座ってい
て、その広告は斜め上ぐらいだったし、混んでいたので見にくかったけれど、最後まで
読んだ。
その親父は去年亡くなったらしい。
いっつも笑ってた親父なのに、その背中をみてからはなんか胸につっかえて言葉にでき
ないものがあった。
でも、それを言えぬまま最後まで、みんなを笑わせた父親。その背中のように俺もなれ
るかな、そういう感じの内容だった。
この息子と同じシチュエーションに出くわしたことがある。
たしか中2のある晩。
1時間半かけて遠い中学に通っていたので、私も電車。
父も同じ電車に乗っていたらしく、先に歩き、私が後を追うかたちだった。
駅から5分ほど歩いたところに、大きな歩道橋がある。近づいてくる。
右手には幼稚園。
夜中の幼稚園はこわい。
なるべくみないようにしていた。
「とぼとぼ歩くサラリーマンがおるな」、と前を見ていたら見覚えのある禿頭。
他でもない、私の父だった。
歩道橋の入口は二手に分かれていて、下ると「赤い道」がある。
赤色の道。別に意味はないけれど、地元でそう呼んでいた。
「赤い道」を通っていくと、大きな公園を通り抜けなければ家にはたどり着けない。
迷った。
どっちにいくべきか?
辺りを見回す。
半径50m以内に父と私しかいない。
だいぶ後ろの方に、人影が見える。
「赤い道」に右足いれる。肌寒い夜空をバックに鼻歌が聞こえる。
歩道橋を渡りかけた父が視界に入った。
歩道橋の脇の柵に手をかけながら、頭をうなだれ歌いながら歩いている。
その背中は、はじめて私に男の「哀愁」というものを感じさせた。
赤い道に半歩足を踏み入れたまま、その姿が少しずつ遠くなるのをみつめていた。
反抗期の中学生。
私。
その日父は何かあったのか。
ガッカリしたんか。
しんどいんか。
そう遠くない後ろを娘が歩いていることに気づきもせず、自宅の門に手をかける父。
こっそり見ていた私。
家に帰ると、何食わぬ顔でビールを飲んでいた。
禿頭のクセ毛を撫でながら、「おかえり」。
なんでもないふりをする父。
ふつうに笑っていた。
懐かしい。
人は失ってはじめて、その大きさに気づく。
私の父は7年前に他界したが、今もその実感が続いている。
そこにいなくても、その人の感覚というのはいつまでも残っているものだと、ツリーを
見て、吊り広告をみて、そう思った。
ラッシュ時のスーツ姿のサラリーマンの背中を見てドキッとして、勝手にそのひとりず
つのあれこれを想像してしまうのは彼らにとっては迷惑きわまりないことやと思うけれ
ど、男のなんたるか。
考えると大変だ。
女の私には想像できない。
心から尊敬しています。
「おまえはおまえの思うように生きろよ」
あっけなく消えていった父が今でも憎たらしく大好きだ。