
「けちゃっぷマニアのHIROちゃんみたいにしようと
思って全身をマルコマルカの服でキメて待ち合わせ。ルン
ルンなんて言葉を使う日は一生来ないと思ってたけど使っちゃおう」
喜多ふあり氏の小説「けちゃっぷ」の冒頭の一文を読んで驚いた。なぜなら、マルコマ
ルカは私自身が長年関わっていた洋服のブランドだからだ。その洋服のデザイナーをし
ていた。
自分のアイデアやら手やら気持ちやらを込めた洋服という創作の完成形が、これまた別
の小説という活字で表現されるとは味わったことのない感覚だ。「けちゃっぷ」の主人
公が全身それを身に纏ってくれたというのだからありがたいかぎり。
「けちゃっぷ」は、自殺願望を語るニートの女性が奇抜な映画撮影に巻き込まれる話。
主人公は言葉を話さず、思ったことを随時、ケータイでブログにアップ、それを読んだ
男優が話しかけて会話が成立するという今っぽい展開で、軽い文体とはうらはらな重い
テーマの対照が面白い。
撮影現場で真っ白なワンピースのうつろな目の女が血に染まる時、それがけちゃっぷな
のか血のりなのかそれとも、血なのかが主人公には分からなくなっていく。
喜多ふあり氏は私と同年代の男性だ。ふありなんだから女だろうとの先入観を逆手に
とって読者を翻弄する作家でありたいという、あえてそれを分かったうえでふざけた名
前をつけられたそう。ほほう。
名前、名前、名前。芸名、ペンネーム等も素敵だと思うが、私は今の名前のまんまでい
い。いくつもあるとややこしいので。本人なので本名でいいかな。
名前はその人を表すというけれど、どうなのだろう。
私が生まれた時、名前の候補は「ゆりこ」か「あきこ」だったらしいが、「ゆりこ」に
になった所以は「あきこ」にすると気が強くなりすぎるからという理由。なんやそれ。
自由の「由」に利口の「利」にこどもの「子」で由利子。
ちなみに猫の名前。ココ•シャネル、ヴィヴィアン•ウエストウッド、ドン•コルレオー
ニ。ココ、ヴィヴィ、ドン。生後6ヶ月前後の彼らがその大層な名前らしくなるのは
年明け以降か。


