何かひとつの分野を究めることで、その道で秀でるようになると、その人のことを「◎◎馬
鹿」と呼んだりしますが、今日はその類いの馬鹿について考えてみました。
愛読しているメルマガのひとつに、『平成進化論』といういわゆるビジネスマン向けのも
のがあるんですが、ここ最近の記事がなぜかビジネスというよりは、どちらかというと、
もっぱら、あらゆる業界の「◎◎馬鹿」についての熱弁の方が勝っていて、それがきっかけ
となり「◎◎馬鹿」が頭の中をぐるぐる、ぐるぐる。
まずは、「リンゴ馬鹿」について。メルマガ発行人の鮒谷氏によると、こうです。
■リンゴを無農薬で育てる。
100%不可能だというその夢を実現するため、幾多の難難辛苦を受け入れた男がいた。
■義父の郵便局の退職金も使い果たし、娘には短い鉛筆2本をつなぎ合わせて使わせ、
リンゴ畑でついに幻覚さえ見たという。
■そして実らないはずのリンゴが実った。
農薬を使わずに、リンゴを作ることは今のご時世、ほとんどありえないことらしい。農薬を
使わなければ、リンゴ畑は壊滅してしまうそうで、花も咲かなければ、果実も実らない...。
つまり無農薬にしてしまえば、リンゴの収穫はゼロになってしまうそうなんです。
ニュートン時代のリンゴと違って、現代のリンゴは、農薬が使われることを前提としたリン
ゴであって、まったく別物。しかし、この男はあきらめず、3年、4年と無農薬でリンゴを
栽培することをチャレンジし続け、トラクターや自家用車、輸送用のトラックを売り払い、
税金滞納、リンゴの木に赤紙が貼られても、家族がひもじい思いをしても、断固として試み
続けたそうで。そのうち、リンゴの木を手入れしながら、ぼんやり考えことをしながら地面
を眺めていると、深い亀裂が見えてきて、それがまぼろしだとわかっていても、どこまで
も堕落していく自分を吸いよせるような気がしてしまい、釘付けになる...という幻想まで
みたそうです。これは実際にあったお話で、
奇跡のリンゴー「絶対不可能」を覆した農家•木村秋則の記録
石川拓治(著)、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作班 幻冬舎
でその全貌が明かされています。
よそから見れば、「何を馬鹿なことやってんの?」と思われそうなことでも、
ひとつのことに執着を越えて、徹底してこだわり抜くと、不可能も可能にしてしまうことが
可能である、その時に生まれるパワーたるや凄いものなのでしょう。凄いと3語で済まして
はいけないような。
「アイツ、何馬鹿なことやってんねん」といわれているのが、本人がそれをやり遂げてし
まったら、それはもう偉業であり、才能と化してしまえる。本物の馬鹿です。
幻覚までみるのは困り者ですが、でないと沸点まではいけない、そこまでこだわりぬくこと
が大切。職人的プロの姿勢からそんなことを教わったように思います。

次は、「コーヒー馬鹿」。鮒谷氏によるとこうです。
■コーヒーひとつのために絶対座らないことを誓った男がいた。
■あなたはどの世界で、なんのために「立ち続けよう」と思うだろうか?
■この答えがみつかったとき、あなたの人生にも凄いことが起こり始めるのではないか。
コーヒーの鬼がゆくー吉祥寺「もか」遺聞
嶋中労 (著) 中央公論新社

上記本の主人公、標(しめぎ)氏は、お客がいない時でも絶対椅子に座らず、店を閉めた後
もコーヒー豆の焙煎を研究しつづけ、慢性的な睡眠不足になってしまったそうです。
コーヒー豆を煎るのを止めるタイミングが1秒でもずれたり、抽出の温度が1℃違えば、コー
ヒーの甘み、香り、品位などすべてが変わってしまう。
「1グラムの違いにどんな意味があるんだ、とふつうの人は思うだろうけど、
その1グラムのちがいがわからないようではプロとはいえない」
と同氏はいっていたそう。焙煎室にも、自分を規律するため、わざと丸椅子を置いていたそ
うですが、けっして座ることはなかったそうです。
コーヒー豆の煎られる密室、つまり同氏にとっての神聖な空間で、律し、高められた同氏
のスピリットが、コーヒーにも投影される...。
正直、ちょっといきすぎではないかと思いました。けれども、考えてみれば、実は私たちに
も当てはまることがあるのではないでしょうか。自分が精魂込めて懸命に勤しむことは、そ
こに自身の気持ちがあるからいいものを作りたいとかその良さを伝えたいとか思うわけで。
そして、いいものを伝えるには、やはりそれやあれが持つ最高のクオリティを惹き出して、
最高の状態に仕上げなければ、いいものとはいえない。決して座らなかった標(しめぎ)氏
のコーヒーに対する真摯な態度。やはり見習うべきものがあるといえます。
決して座らない人で、ふと想いだした1人の馬鹿がいます。これは、敬慕しているがゆえ、
ここでは馬鹿と呼ばせて頂きますが、面と向かって言えば、たぶん百パー顔面パンチを食ら
うでしょう。
ロンドンに暮らしていた頃、私はアートカレッジに行きながら、紳士服のテーラリングの見
習いをしていたことがあります。学校でファッションデザインとマーケティングを専攻する
も、洋服作りの技術について、まったく教える授業がないという驚きの教育スタイルで、
(各々自分で学びなさい。紙にデザイン画が描ければ、作れる、と言い切った講師に唖然と
した記憶があります)いくらなんでも、それは無茶だと思い、当時メンズ服に興味があった
ということで、サヴィルローの1番地、ギーブス&ホークスの扉を叩いたのです。
そこで、テイラーたちにくっついて、あれやこれや教えて頂きました。
中でも、マエストロと呼ばれていた(そしてご自身でもマエストロと呼んでいた)テイラー
の長、アンドリュー氏。彼は『ジャケット馬鹿』です。(もしも、もしもです。これを見た
としたら、あなたはご立腹になると思います。ごめんなさい)
でも、ほんまに馬鹿なんです。テイラーといってもさまざまな種類があり、ここでは、ジャ
ケットを仕立てる人、スラックスを仕立てる人、シャツを仕立てる人に分かれていて、ジャ
ケットを作る人が一番腕のいいテイラーとされていました。
この人にジャケットを作らせたら、それに秀でるものはいないというのが、アンドリュー。
サヴィルロー界隈でもそれはそれは名を馳せていました。
テイラーたちは、それぞれの作業台でひたすら手作業でこさえていきます。気の遠くなるほ
どの仮縫いや、文鎮のどでかい版みたいなくそ重いアイロン(私はこれに慣れるまでに半年
近くかかり、本気で腱鞘炎になりかけました)でのプレス作業など、はじめて目の当たりに
した時は、これをほぼすべて手で作り上げている業だということが信じられませんでした。
忍耐と緻密さとの戦いです。テーラリングは卓越しきった技術に裏付けられた高尚な芸術と
さえ感じます。
そして、マエストロ•アンドリュー。夕方くらいになると、テイラー達もやはり人間。集中力
も散漫になってきて、お喋りしたり、休憩したりしはじめるのですが、アンドリューだけ
は、座ることなく立ったまま、独り言を言っては大爆笑したりと、奇怪な言動も多々ありま
したが、一切、作業の手を止めるのを見たことがありませんでした。ランチも、立ったま
ま、サンイッチを3分ほどで完食、手を拭き、すぐに作業に戻る。まさに立食です。
さらに、誰よりも早くアトリエに来て、誰よりも遅くまで残り、ひたすらジャケットを作り
続けていました。私がギーブス&ホークスに通った2年半の間で、唯一、アンドリューが
座っているのを見たのは、スタッフ総出のクリスマスディナー会の時だけ。それ以外は、作
業中、一度も座ったのを見たことがありませんでした。
当時で、すでに50半ばは優に越えていたと思いますが、立ち続けることはけっして容易く
はなかったでしょう。先ほどの「コーヒー馬鹿」の標(しめぎ)氏と同じく、アンドリュー
もきっと、ジャケットに対する畏敬の念を示していたのだと思います。彼にテーラリングの
ことで何か質問したり、作業を観察させてもらうといつも、「ワシは先生じゃないからな」
とブツブツ言いつつ、難しい顔をしながらも親切に教えてくれたことを秘かに私淑していま
した。本物の馬鹿には適いません。


