恥ずかしながら、今でもときどき、母親にモーニングコールをしてもらうことがある。
それは、翌朝、確実に起きれないと胸を張っていえる夜のことであって、受話器片手に頭を
下げながら頼んでみると、毎度、「情けないわぁ。自分で起きよ。...っもう!ったく!」と
苛立たせてしまう。私の言い分は、「起きれないからお願いします」、たったそれだけ。
でも、そうでしかないのであって、本当に情けないのだけれど、中学生の時分から、どこの
国にいようが、関係なく続いている習慣のひとつだったりする。
そのことについて、もう1人、えらくご立腹な人がいる。
Nさんといって、かなりはしょって説明すると、弁も立ち、活動的で、新しいことにはとん
と、無関心だった母をあちこち連れ回す、マブダチだ。
「東京に1人で暮らしてるいっちょまえの女が、朝起こしてってどないやねん!」と母伝い
にNさんからお叱りを受けた。生みの親よりも厳しい。
それはさておき。とある秋の一日、なにやらNさんの買い物に付き合った後、見たくもない映
画をご一緒したと言う。どんな映画かと尋ねたら、「少年Aやの、少年Bやの、分け分からん
やつよ」と母。結局、ストーリーを理解できないまま、映画は終わったそうで、タイトルは
どうやら20世紀少年だったらしい。
母が20世紀少年?大きなスクリーンのある劇場にわざわざ出向くなんて、たとえそれが、
感情を揺さぶられるフリであっても、これまでの彼女ならならありえないことだ。
「行こうよ、ええやん、面白いって」とNさんに手を引かれると、断れないから行くのよ、
と言い訳がましくいうけれど、実際、Nさんが母に与えている影響ははかりしれない。
突然、金沢の温泉に2人旅に出かけたり、Nさんの詩吟仲間のパーティに参加したり、海外旅
行を計画したり、なにせ話を聞いているだけでも、楽しそうなので、うらやましい気持ちに
なることがある。マブダチ万歳。
さっき、風呂に浸かりながら、河井隼雄氏の「大人の友情」を読んでいたら、まるごとお湯
の中に落としてしまった。まだ半乾きのページにはこんな言葉がある。
「ミツハル、いってしまったのか。
『いく』という表現はかぎりなくおれをいら立たせる。おれが何と言おうと、おぬしは一
切聞いていないじゃなか。オン•ザ•ロックの氷のようにおぬしは溶けた。自我の司令部を解
体した。おぬしがのこした再現可能なものが集まり、いまあらためてはじめた自己運動の
ほかにおぬしはもういない」
これは、井上光晴氏の追悼文集からの抜粋で、自分を置いていなくなった友に対して、
怒っているのと、悲しいのとが入り混じっていて、心を掴まれた。
対して、昨日観た、レイモンド•チャンドラーの『ロング•グッドバイ』のフィリップ•マーロ
ウが友人のテリー•レノックスに抱く感情は、似た種類のものなのに、もう二度と友には戻れ
ない結末を迎えてしまった。裏切りが殺意に変わる、静かだけれど、恐ろしい場面。
チャンドラーの自伝的な話でもあるというのだから、書くのはつらかったのだと思う。
こんなこと、本当にあったらつらすぎるでしょう。
阿修羅のごとく、旅するジーンズと19歳の旅立ち、櫻の園、テルマ&ルイーズ、大阪ハム
レット。さらにいうと、Lの世界はシーズン3に突入。
今日は、立て続けに映画を観たので、頭がぼやっとしています。
阿修羅の〜、四姉妹のおとん役、仲代達矢さんにしびれた夜でした。


