最終便に間に合えば、京都まで

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林真理子氏の「最終便に間に合えば」「京都まで」。


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綺麗ごとではない、働くOLやサラリーマンのあからさまな恋愛を描いたこの2作、少し前

に、ある方から、読んだ方がいいとのお薦めがあって、近所の本屋を探してみたのだけれ

ど、どこにもなくて、しかたなくアマゾンで購入。

しかたなく、アマゾン?

いえいえ、そんなことありません。

アマゾン様、様でございます。

(物欲はあまりないほうだけれど)ただ、アマゾンは私にとって危険な領域なのです。

理由は単純です。

調子に乗って、あれもこれもと、いっぱい注文してしまうから。

急ぎでもないのに、お急ぎ便にしてみたり、1度にまとめりゃいいものを微妙に、分割した

り。ほんでもって、届いたら、「誰からのプレゼントやろ?」という〝もしかして願望〟を

抱いてみたり、受け取りのサインをする時に、〝身に覚えありませんけど、まさか私に?〟

と目を丸くしてみたり、「これ、誰から来ましたのん?」と伝票の差出人をしらこくチェッ

クしてみたり。

「自作自演もほどほどにしなさい」という教訓をアマゾンさんには教わっている最中です。

おかげで、配達のおっちゃんと立ち話するくらい仲良くなれました。

「今から行くけど、いてる?」ってなくらいの事前コールも日常的。いやはや!


ところで、本題に戻ります。

「最終便に間に合えば」と「京都まで」。

(いずれも「最終便に間に合えば」に入っています)

短いのでササッと読めますが、20年くらい前の作品とは、思えないものでした。

男と女の恋、愛、その間にある性、金、嘘、揺ぎ。

色んなアニマルたちが、(=私たち)色んな都合やエゴや辻褄合わせで絡まって、いい具合

になるから十人十色なんて言葉があるんでしょうが、今の日本の男子、女子と比べてみる

と、その頃となんも変わってないんだなという気がしました。

草食も肉食も関係なく、そこにおるのは男と女であり、不変というのかな。

忘れたくても忘れることのできないハートブレイクを経て、時を隔てて、また好きだった人

に何かしらのタイミングで出会う。その時、自分に都合良くしようともっていくのは、男も

女もお互い様。1回好きになった人を嫌いにはなりませんよな。むしろ、時間が経てば、好

きとかそういう歯切れのいいものとはまた別の感情が生まれるような気がします。

それは、今の安定とか相手とかがいるからできることであって、それがあるからこそ、「あ

の時、俺は」「あの時、私は」と言い訳めいたことを口にしなくても、お互い、結局のとこ

ろ惹かれ合ってしまう。折り合いのつくポイントを探し求めて。

それは、大人になるほど、〝技術〟が増すけれど、それがをとんちんかんにするのが感情と

いうやっかいな曲者で、化学反応起こして、わざわざしなくてもいい醜態を自分でみせたり

してしまう。

あるいは、「京都まで」の主人公のように、目の前にいる相手を他の誰かと比べたりして、

異なる部分を魅力と捉えて、過剰に評価して美化していく。

「この人こそが自分の求めていた人」だというつかの間の正解&錯覚。

のめり込まれることを恐れた相手は、受け入れることが出来ずに、2人はあっけなく終わ

る。

ザッツ恋愛ゲーム。

主人公は、「今までのラブラブは何やってん?」と周章狼狽しつつ、もう一度、心を通い合

わせる気もなく、頼りない恋に、一瞬だけ踏み外しかけた足を元のレールに戻す。


働きながら、恋愛しながら、明日を生きる。

あたりまえの営みのようでこれがけっこう難しい。

考えたってどうにもならない予期せぬことを、どうにかしようと体当たりで、生き抜く

生々しい男女の姿をこの2作に感じました。









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