2010年1月アーカイブ
写真:島隆志 言葉:岸由利子
昨日、電話をi Phoneに変えてみました。元々、機械系に疎く、近年、Macの操作がやっとこ
なれてきたところなのですが、好奇心が現実の力量をはるかに優り、「いいからとにかくソ
フトバンクに行きなさい」という声が聞こえてきて、それに従いました。(綺麗にいうと)
コレ、いじるのが楽しくてしょうがないです。便利やなあとつぶやいてみたりしました。こ
んなに小さいのに、色んなこと出来すぎや!素晴らしい!(いまいち分かってないけど)
難儀なのは、説明書がほとんどないところ。メールアドレスが2つ取得できて、さらに
PCのメールも見れるというかしこい携帯なのに、設定諸々に必要なパスワードとログインID
が色々とありすぎて困惑してしまい、不本意な発信、つまりいたずら電話をかけたりしてし
まいました。知らない番号から着信があった方、すんません。徐々に、ちゃんと名乗って連
絡しますんで、お許しをば。
写真:島隆志 言葉:岸由利子
「真木栗の穴」という映画。先日、アダルトビデオショップのおいちゃんに教えてもらった
レンタルビデオ屋で、やっと見つけました。しばらく探していたのですが、置いてあるとこ
ろがなくて。TBSの昼ドラ「ラブレター」で、ヒロインの母兼シブガキ隊フックンの女房と
いう役どころを演じた粟田麗が、取り壊し寸前のアパートの一室で、男たちとの性愛を隣室
に住まう物書きに覗き見されるという設定。田舎の母というイメージがあったせいか、異様
に濃艶で、見てはいけないものを見ているような気持ちになりました。まさに昼下がりの情
事。しかし、ただの覗き見が主旨ではありません。主人公である物書きの男に取り憑く女へ
の執拗な妄想が、現実となり、また現実が妄想に絡んでいくという謎の多いストーリーで
す。見応え十分。かなりおすすめです。
続きを読む: 真木栗の穴
写真:島隆志 言葉:岸由利子
そこに人間みんな乗っかって、どんどん変わっていく。
万人に平等に与えられているものは時間だけ、だから大事に使おうなんてよく言いますけれ
ども、人というのはどうしてこうも怠惰でいい加減なのでしょう。
大事にしようと思った矢先、眠気が襲ってきて持て余したり、待ち合わせの相手が遅れる
ことものの10分、景色でも眺めていればいいのに、そわそわしたり。
先にならねばならんことに充てりゃいいのに、どうでもいいことに使うのでは、有意義の全
く逆だ。
これじゃいかんと繰り返し自分を戒めながらも、同じような反復練習をしていくのが人生
なんですかね。そうでしょうね。時計を見上げては、やれ腹が減った、眠いと自動的に反応
する我々は動物だ。
蛇口をひねれば出てくる水ならば、締めておけるが、時間は流れまくる。見えないくせに
さ。おおーい待ってくれ!コツコツと、次から次から流れていくのに、乗っていかないとで
すね。そう、毎日。
写真:島隆志 言葉:岸由利子
本が乱読というなら、映画はなんというんでしょうか。
乱鑑賞、乱見?
今日はそんな乱れた一日を過ごしました。
蛇を踏む、古道具 中野商店(いずれも川上弘美)、夢の浮橋(谷崎潤一郎)。盲獣VS一寸
法師(江戸川乱歩)、鬼畜、ゼロの焦点 (いずれも松本清張)、そしてトウキョウソナタ
(黒沢清監督)。
母べえとたそがれ清兵衛のべえべえは、なぜか最後にとってます。
厚着するのが苦手なので、暖房ガンガンかけて、今日も半袖。
写真:島隆志 言葉:岸由利子
神戸の大震災から15年。この間、色んなことがめまくるしく変わっていき、忘れてしまう
ことの多いなか、あの日にかぎっては一部始終を鮮明に覚えている。
思い出すというよりも忘れられない。
現地、現時刻、まさにそれが起きたその瞬間、私はそこにいたのだけれど、テレビからひっ
きりなしに流れてくる今日の映像とあの時、体に染みついた感覚はやはり違う。
体験したことなのにどうしてか他所ごとにみえてしかたがない。
理由はおそらく、電波伝い、エンドレスに繰り返されるそれらの反復映像の過度なスピード
感。報道の与えるメリットとデメリットがここに混在している。
これは幸いにも私が生き残ったからこそいえることなのだが、街全体がとりかえしのつか
ない形にひん曲がっていく間、1秒が半日に感じられるほどのスローモーションだった。
焼け落ちていく家々、火の粉、サイレンの音、立ちこめる煙、被災している人々の様子。日
常生活の一切が断絶されたながい、過酷な時間。
すべてをコンパクトにまとめてしまうことに違和感を覚えてしまうのだ。
というたかて、しかたがない。
記憶の感度が衰えないかぎり、どのようなニュースを見ても同じ気持ちになるのだと思う。
忘れられないことをただ忘れないだけでなく、次に生まれてくる人たちにも伝えていくには
私たち、努めていかなくちゃ。
続きを読む: 高速道路で撮ったそう、おお、危ない!
写真:島隆志 言葉:岸由利子
熊本出身の友人より頂戴した貴重な現地のラーメン。つゆと水の分量までこまかに伝授して
もらったのに、いざ食べようとしたら、しどけない、ちっこい、つゆの袋をうっかり喪失し
ていた。素のまま食べるしかないか。すまぬ!
サラリーマンアート展示会、かの有名な最後の晩餐はリーマンショック。上司が部下の肩に
そっとかける手。昼食に誘うのとリストラ宣告は紙一重だよね。ギャハハハハ。電車で聞き
耳を立てずにはいられなかった女子たちの会話。全然笑えないよ。
島氏から送られてきた2枚目の写真は、なんとも穏やかで優しい植物でした。
これ、2作目。
トゥルーロマンスという映画のサントラの1曲目、You're So Cool。この古い曲を半永久的に
リピートしつつ、「罪と罰」を読み返す午後。木琴の音色と斧と血しぶきが頭の中でいい具
合にごっちゃになって、ラスコーリニコフの気持ちが少しマイルドに感じられます。
引っ越ししてようやく1ヶ月。住み心地は最高で、愛すべき我が家とほくほくしているきょ
うびですが、問題がひとつ。
街をどれだけ散策しても、DVDのレンタルショップが見当たらないのです。
そこで、先日、同じ街に長く暮らす友人に聞いたところ、少し歩くが、看板が出て
いるところがあるというので行ってみたら、どやひゃあのアダルトビデオ専門店でした。
夜なら興味津々、ジロジロみれたのに、辺りはまだ明るく、たじろいだ私。
引き返そうとした時にはすでに遅く、店主とばっちり目が合ってしまい、そこから一歩も動
けなくなったので、質問をしてみることにしました。「こここここはレンタルビデオ屋さん
ですか?」。すると、彼は苦笑いしながら肩をすくめて、「たしかにそうだけど、ごらんの
とおり」と店内を指差してみせてくれたので、了解、はい、分かりましたと納得して、今度
こそ引き返そうとしたら、親切にも、私の求めていたレンタルビデオ屋さんの場所を教えて
くれました。また、ひとつこの街が好きになりました。おじさん、ありがとう。
続きを読む: 親切な店主
このブログのトップページ&プロフィールのいかつ艶かしい写真を撮ってくださった
写真家の島隆志氏と、写真と言葉のキャッチボールをはじめました。
日々、島氏から送られてくる写真を見て、私がそれに対して出てくることばを連ね、島
氏に送り返し、島氏が写真に入れ込むというハイテクニックなアナログ法です。(島氏、い
そがしい!)
これから(ほぼ)毎日アップしていきますので、どうぞご覧くださいませ。
何が送られてくるのかまったく予想もできないので、贈り物が届くみたいで嬉しいです。
パッとみた瞬間に湧いてくるイメージをことばに置き換えて、ことば遊びを楽しみたいと思
います。
上、これ、今日、第一作め。
どうぞよろしく!
つかの間の里帰り、叔父のお葬式にて親戚の子供たちを必然的にあやす係になりました。
2歳、3歳、5歳。2歳の子はハッピーターンをばりぼり、ねちゃねちゃ散らかしつつも完
食し、泣いてるのかと思ったらうすら笑いを浮かべて、足を絡ませてくる。3歳の子はお
経の途中、くまのぷーさんの携帯電話を無邪気に鳴らしまくり、「ぼく、くまのぷーさんだ
よ」の連呼を響かせたあげく、お坊さんのそばでパンツ丸出しセクシーポーズで寝そべり
出す。5歳の子は、所々の待ち時間、ヘコーンという効果音と共にチョップをしたり、抱き
ついてきたり。その子があまりにもうるさいので、私はもう「お姉ちゃんじゃなくて、お兄
ちゃんや」「アフリカの親子丼の話教えたろうか」「宇宙人やから、ここだけの話」と嘘く
そを吹き込むと、真に受けて、男である証拠をみせてよ、おっぱい偽もんなん、りんご入れ
てるやったらかじらせてよとか訳の分からんことを言い出し、そんなやりとりをしているう
ちにおのずとヘコーン返しをしている自分がおり、あれよという間に初七日まで終わってい
ました。
子供と遊ぶのはとても楽しいことなのですが、ものすごく疲れました。あんな意のまま、気
ままで率直な人間たちについていくのは大仕事。世のお母さんたちは、彼らと24時間過ご
すのだし、育てているのだし、当たり前ですが。本当にすごいと思いました。半日でヘトヘ
トになるのだから、まだまだ修行が足りません。撮影会、動きまくってブレまくり。
子供パワーダ!
東京への帰路、伊勢神宮へ参拝しました。ああ連休だ、成人式だということをすっかり忘れ
ていて、大混雑。ほら、みてください。こんなに人が。地元のおばちゃんによると、初詣時
よりも車道が混んでいたそうな。架け替えされた宇治橋の木材の表面にあるかすかな凸凹の
手触りが心地良く、手のひらを沿わせながら歩く。やや残念な曇り空の下、あとちょっとだ
け頭を突き出したら、吸い込まれそうにでかく長い五十鈴川。内宮まで歩く途中、筋肉痛で
あることに気づく。砂利なんてなければ歩きやすいのにさと思いつつ、木々、鳥、雲、空。
見上げていると、どうでもよくなってきて。自然のおかげでおかげ横丁も闊歩完了。
自然のパワーダ。
まった。
昨夏、淡路島の病院で会ったが最後、「おっちゃん、一緒にカラオケ行くで。年末までに
元気なってや」というたら、ひしと握っていた手を少し緩めて、え?マジでという少し弱気
な顔をしてはにかんだ。そして眠りこけた。面倒くさいから、笑、寝たフリしたのかな。
なぜカラオケのことを言ったかというと、彼が病床に就く2年ほど前、彼と私がほどよくう
ざく酩酊した際に、カラオケに行こうという契りを交わしていたから。
彼の吸うていた煙草の匂いが中学生の時からなんとなく気に入って、それから20
年近く吸い続けているピースライト。旨いんす、これがまた。
外国とか東京とか遠いとこいかんと、神戸おったらええやん、でももう明日帰らなあかんね
ん、そんなとこおらんとこっちでええやん、そやかてでもとかなんとかいって、いつも限ら
れた時間しか共有できなかったけれど、彼はいつまでも、そうやって微笑んで、美味しそう
にビールを呑んで、そこに居てくれる人やと思っていました。
予期していただけに、ああ、いよいよ逝ってもたかという落胆はたしかにあった。寂しくも
ある。あたりまえやんけ。だども、悲しい時は泣くもんです。触れたらだめよねその話題み
たいな空気を醸し出さず、悲しい時は思いっきり悲しんでいいんやと思います。ああ悲し。
ほんま悲しいだよ。
たとえば子供が生まれたりとか結婚したりとか、いわゆる「良いこと」のある時は、一家勢
揃いどころか、血のつながった皆がわいわい騒いで喜びを加速させます。やんや、やんや、
なんだか楽しいなってなもんで。理由もなく。これが血か。私は無論、日本に生まれた子女
ですが、少なからず半生くらいを外の国で過ごしたゆえ思うのは、大事な人が亡くなるとか
どれほど喚いても己の力ではどうにもならないこと、堪え難いこと、いわゆる「良くない」
ことが起こる時、日本人という人種はそれに拒絶に近い反応を示して、触れることを極力避
けるように思います。受け入れようとしない。語らない、見ない振り。そこに居合わせるの
に言葉で表現しない。空気が醸す、反吐だよね。
かというて、わたしかてゼロパーゼントとはいえないです。が、どうしようもない辛さや悲
しみをちゃんと受け止めてこそ、その対極にある喜びや幸せが本当の意味で理解できるよう
になるのだと思えてならない。目を逸らしたらだめだというのは酷かい。未熟かい。そうで
はないか。どうだろか。
でもがんばったでなあ、おっちゃん。
新しい年がやってきましたね。今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
年越しは渡辺淳一氏のシャトウルージュを読みながら、開運そばをそそる予定だったのに、
うたた寝の度がすぎて、目覚めたら元旦の午前3時過ぎ、年越したそばを食べ、なんならう
どんも食うたろうかと迂闊だった自分をほんの少しだけ戒めつつ、仮眠してから初詣へ行き
ました。
初夢は寅ならぬ猫と森の中にいて、Tシャツの中にその子を抱きかかえながら走っていまし
た。そこには、外国人の男女混合、裸族みたいな軍団がいて池でスイスイ魚のように優雅に
たむろって、泳いでるんです。でも、日本の田舎によくある田んぼと夕暮れの風景がバック
にあって、そこであたふたしている私。
自転車に乗って帰り道を急ぐのですが、安全地帯らしいところに入ったとき、胸元にひし
と抱いた猫はたしかに日本語で、「ここどこら辺なん?」と聞いてきて。返答に困り、そこ
で目覚めるというかなり鮮明な映像でした。
お正月からの3日間、シャトウルージュを耽溺、にたにたしながら町田康氏の爆発道祖
神を、イギリスのナショナルギャラリーの図鑑で回想色々、他、新聞や週刊誌を読む読む、
が、しかし。なにせじっとしていることが苦手なもんで、色々とアクロバティックに体勢を
変え、壁に背をつけて体操座り、座椅子にクッションを積み重ねて台代わりにし、うつ伏せ
になる、立ち読み、歩き回りなどしていると、それだけに時間を費やしてしまい、肝腎の内
容があまり進まない。
そうこうしているうちに、なんだか眠たくなってきてちょいちょい眠るというのを繰り返
していると、瞼を閉じる前に見た記事やら物語が自分の中身と合わさって、紙芝居のように
勝手に夢で上映開始。面白いのですが、結局眠れていないのでエネルギーの消費がすごいみ
たい。今日からは、もう少し普通に眠ろうと努めてみます。
面白いといえば、今日届いた年賀状に書かれていたメッセージ。せっかくいただいたお年賀
なのに、ぷーっと吹き出したといえば失礼なのですが、一文字ちがえばそれだけ意味が変わ
るのだという、ひらがなの奥深さについて考えさせられました。
おそらく、差出人の方はすごくお急ぎで、「お」と「あ」を間違いそうになってなんとか
「お」にみせかけたのだと察しているのですが、「おねがいします」がどうみても原型、
「あねがいします」だったのです。時が止まりました。
「おけましてあめでとうございます」。けっこうすらっと読めるので、流し読みして
いたら気づかないかもしれない。いや、十分に気をつけましょう。
というわけで、2010年もまず健やかに。大切にしているものを大切に、大切にしている
人を大切に、1日1日を大切に。それぞれがそれぞれに、幸せばりばりてんこもりの素晴ら
しい年になりますよう、心よりお祈り申し上げます!
続きを読む: あけましておめでとうございます、ハロウ寅年!


