カラオケ行こや!ああ、行けんかったね、でもがんばった

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身内親戚の中で、いっちゃんわたしを可愛がってくれた叔父が昨晩、とうとう他界してし

まった。

昨夏、淡路島の病院で会ったが最後、「おっちゃん、一緒にカラオケ行くで。年末までに

元気なってや」というたら、ひしと握っていた手を少し緩めて、え?マジでという少し弱気

な顔をしてはにかんだ。そして眠りこけた。面倒くさいから、笑、寝たフリしたのかな。

なぜカラオケのことを言ったかというと、彼が病床に就く2年ほど前、彼と私がほどよくう

ざく酩酊した際に、カラオケに行こうという契りを交わしていたから。

彼の吸うていた煙草の匂いが中学生の時からなんとなく気に入って、それから20

年近く吸い続けているピースライト。旨いんす、これがまた。

外国とか東京とか遠いとこいかんと、神戸おったらええやん、でももう明日帰らなあかんね

ん、そんなとこおらんとこっちでええやん、そやかてでもとかなんとかいって、いつも限ら

れた時間しか共有できなかったけれど、彼はいつまでも、そうやって微笑んで、美味しそう

にビールを呑んで、そこに居てくれる人やと思っていました。

予期していただけに、ああ、いよいよ逝ってもたかという落胆はたしかにあった。寂しくも

ある。あたりまえやんけ。だども、悲しい時は泣くもんです。触れたらだめよねその話題み

たいな空気を醸し出さず、悲しい時は思いっきり悲しんでいいんやと思います。ああ悲し。

ほんま悲しいだよ。

たとえば子供が生まれたりとか結婚したりとか、いわゆる「良いこと」のある時は、一家勢

揃いどころか、血のつながった皆がわいわい騒いで喜びを加速させます。やんや、やんや、

なんだか楽しいなってなもんで。理由もなく。これが血か。私は無論、日本に生まれた子女

ですが、少なからず半生くらいを外の国で過ごしたゆえ思うのは、大事な人が亡くなるとか

どれほど喚いても己の力ではどうにもならないこと、堪え難いこと、いわゆる「良くない」

ことが起こる時、日本人という人種はそれに拒絶に近い反応を示して、触れることを極力避

けるように思います。受け入れようとしない。語らない、見ない振り。そこに居合わせるの

に言葉で表現しない。空気が醸す、反吐だよね。

かというて、わたしかてゼロパーゼントとはいえないです。が、どうしようもない辛さや悲

しみをちゃんと受け止めてこそ、その対極にある喜びや幸せが本当の意味で理解できるよう

になるのだと思えてならない。目を逸らしたらだめだというのは酷かい。未熟かい。そうで

はないか。どうだろか。



でもがんばったでなあ、おっちゃん。


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