1月17日

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写真:島隆志 言葉:岸由利子




神戸の大震災から15年。この間、色んなことがめまくるしく変わっていき、忘れてしまう

ことの多いなか、あの日にかぎっては一部始終を鮮明に覚えている。

思い出すというよりも忘れられない。

現地、現時刻、まさにそれが起きたその瞬間、私はそこにいたのだけれど、テレビからひっ

きりなしに流れてくる今日の映像とあの時、体に染みついた感覚はやはり違う。

体験したことなのにどうしてか他所ごとにみえてしかたがない。

理由はおそらく、電波伝い、エンドレスに繰り返されるそれらの反復映像の過度なスピード

感。報道の与えるメリットとデメリットがここに混在している。

これは幸いにも私が生き残ったからこそいえることなのだが、街全体がとりかえしのつか

ない形にひん曲がっていく間、1秒が半日に感じられるほどのスローモーションだった。

焼け落ちていく家々、火の粉、サイレンの音、立ちこめる煙、被災している人々の様子。日

常生活の一切が断絶されたながい、過酷な時間。

すべてをコンパクトにまとめてしまうことに違和感を覚えてしまうのだ。

というたかて、しかたがない。

記憶の感度が衰えないかぎり、どのようなニュースを見ても同じ気持ちになるのだと思う。

忘れられないことをただ忘れないだけでなく、次に生まれてくる人たちにも伝えていくには

私たち、努めていかなくちゃ。










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